浄土宗 千葉教区  
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正覺山 蓮壽院  安房組 49番

 当山の創建は不詳。かつて隣接する大神宮村にあった浄土宗の古跡だという。それが相浜の地に移ったのは江戸時代における三大地震の一といわれる房総沖巨大地震の発生した1703(元禄16年)11月23日以降のことである。地震による津波の被害と土地の隆起などの理由により、人々は現在の村域に移り住み、こうして相浜村が形成されていっ
たという。
  相浜村名主石井嘉右衛門の記録によると、当村には寺が無いため村人は難渋していたという。1713(正徳3年)村人の和泉屋伊右衛門は常念佛を発心し、これに村人
も心合わせて村役一同はお役所に寺建立を願い出ると、感銘を受けた地頭酒井内膳(備中守)は、古屋敷の所に寺地を寄進されるのである。
  当時、新寺の建立は法度のため、廃寺寸前の大神宮村蓮壽院の名跡を継いで相浜の地に再建されたもの。その後、1768(明和5年)7月にも地頭林地の追加寄進を受け、現在の寺域となる。周辺の松岡村、南竜村、北
竜村などから松の植栽奉仕があり、大勢の人々の善意で境内の造成がなされたという。
 境内には1715(正徳5年)に建てられた房総沖巨大地震による津波犠牲者86名の供養碑が祀られているが、これには廃寺復興でも活躍した祐天上人の御名号が刻まれている。
 なお、当山は安房円光大師二十五霊場の第4番札所である。
※ 参考文献 近世農政史料集3『旗本領名主日記』、『安房震災誌』、日本伝説叢書『安房の巻』
 檀家であるなしにかかわらず近隣の信者が集まり、法然上人の御教え、吉水講詠唱の勉強に励んでいる。毎月第2・4月曜日の夜間に開催することから「西月講」と称する。
 毎年盂蘭盆の期間、寺宝「須弥山図及び地獄変相図」が公開される。これは、念仏者が阿弥陀如来の来迎引接に与かる姿や、地獄の亡者の様子が彩色で描かれた4幅の掛軸。
 宮殿の板天井には、墨海(小沼恵斎)筆の水墨画「雲龍図」が一面に描かれている。

 漁師町ということで古来より百万遍大念仏、施餓鬼会、十夜法会には客仏主夜神様の「海上安全・大漁満足」の祈願も併修している。

(正覚山 蓮寿院 03.03.10掲載)


開   山
 恩蓮社寶譽上人大和尚
開創年次
 1624年(寛永元年)
現 住 職
 町田 達彦
指定文化財
  
年中行事
 寺年頭(1月4日)、百万遍大念佛(鉦起こし、主夜神初祈祷 1月16日)
 涅槃会(2月15日)、降誕会(潅佛・甘茶接待5月8日)
 護持会総会(5月8日)、施餓鬼会(8月16日)、十夜法要(11月7日)
 その他、春秋彼岸会。盂蘭盆会(8月)
事業活動
 西月講(吉水講詠唱の勉強。毎月2回開催)
 掲示伝道。インターネットホームページ運用
 (http://www.awa.or.jp/home/renjuin)
住   所
 館山市相浜72
電   話
 0470−20−7070
交   通
 JR内房線館山駅から、 JRバス安房白浜行きにて相浜下車 徒歩5分
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